2011年05月27日

長太郎の鋏再生・・

(依頼)親が仕立ての仕事で使っていた鋏を研いで欲しい。

(再生)持って来られた・・長太郎の鋏は・・プロ用の高級鋏で・・大事にされてきたのだろう。
まずセンターピンを外し全体の錆びを取りピンのガタと刃の反りを調整して刃をプロ用に研ぎあげた。

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posted by WAFT at 09:04| 包丁鋏の再生

2011年05月10日

斧を研ぎ直し鞘を創ってキャンプで使いたい

(依頼)家にある斧で薪割りをしたいので・・研ぎ直しとキャンプなどに持ち運び様の鞘を創って欲しい。

(製作)斧は刃こぼれを直し通常仕様の研ぎを施し・・鞘は持ち運びと使いやすさで厚手の革で創った。ホック一つで安全に刃をカバー出来 見た目もスマートで車にも積み易いだろう・・さて もうどこかのキャンプ場で薪を割って キャンプファイヤー楽しんでるだろうか・・。  

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posted by WAFT at 11:56| 古鉈の再生

2011年05月02日

研ぎ屋オヤジ(有賀渡59)の趣味・・・

研ぎ屋オヤジ(有賀渡59)は・・現役ライダーでもあり・・暇なときはバイクイジリをしています。 ゴールデンウイークには・・10年ぶりに1979年式ハーレーFXS1200ローライダーの整備をしています。普段は1989年式BMWR100パリダカに乗って年2回ぐらい600km以上のロングツーリングへ・・その他MG1000s・KTMduke ・T500・CB72・KSR110など・・高校生の頃から3年以上乗ったバイクはほとんど動態保存しており 我が家には息子のバイクを合わせると・・12台あります。

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高校生の時初めて乗ったバイク CB77・・・そろそろレストアしようかな・・・
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【研ぎ屋オヤジの・・T500物語】
俺が初めてそいつを見たのは、1970年の秋、モーターショウの時だった。当時俺はCB77に乗っていたが、CB750が街に増えるにつれ、それまでのライバルCB350、CB450までもがそいつの前では消し飛んでいた。

打倒CB750を果たすには、CB77以上のパワーアップが必要だった。パワーをパワーで上回るのは俺の主義じゃない、軽量でパワーが在り、ロングツーリングにも対応する耐久性と整備性、そしてみんなが良いと言うベストセラーではないこと。そんな中で俺が選んだのが、SUZUKI・T500だった。1970年モーターショウの中ではGT750が華々しくデビューしてるスズキのブースの端っこにT500は他の既存バイクと共に並んでいた。

人のいないそのコーナーで、それが俺の理想のバイクだと確信した。すっきりしたデザイン・軽い車体・頑丈な各パーツ・そして改造の余地を残したシートとステップ廻りとトリッキーでないトルクカーブ・価格27万円、後は大学1年だった俺には、金の問題だけだった。

それから約1年後、大学へ行くため門を出てバス通りを横切りいつも通る裏道で、此処らでは見た事無いバイクを磨いてる人がいた。T500四型だった。それからいつも行き帰りにそいつを見るのが楽しみだった。

1年後そいつは、その家のガレージの奥にいつもシートを被ってる様になり姿を見れずにいた。それからまた半年後、思い切ってその家のドアを叩いていた。幸運にも出てきたのは、T500のオーナーだった。

「もし乗らないなら、譲って下さい。」と言うと、「もう少し乗っていたいんよ。」と言う事で話は終わった。・・・・・・それから半年後、自宅でCB77の整備をしてると、突然あのT500のオーナーが顔を出し、「アレ売ってもいいよ。」って言うもんだから、うれしくてCB77の整備もウッチャテあのT500の元へ跳んでいった。「幾らぐらいで、売ってもらえますか?」 に対し「幾らでもいいよ。」というので、「今もっている全財産、9万円なんですけど、それで良いですか?」というと、「それで良いよ」と35歳くらいのその人は笑って言った。モーターショウから約3年が過ぎた日の事だった。

しばらく乗っていなかったT500を簡単に整備して、キックすると簡単にエンジンは掛り、CB77にはない白煙をマフラーから揚げている。表に出し2,000回転でクラッチを丁寧につなぐ、ボーといいながら動き出す、やはり低速は無いなー、それが3,000を超した途端ハンドルのバイブレーションと共に一気に加速、空かさず2速へ入れるともう 100Kmhだ、これなら箱根でCB750に勝てる、すぐにフルブレーキング、フィン付きダブルリーディングも良く効く。 Uターンの代りにアクセルターン、車体が軽いから安心だ。

数日後、T500と俺は、紀伊半島を廻り、長距離に絶対的な信頼を感じると、数ヶ月後には北海道を走っていた。北の大地を最北端に向けて走ってる時、この心地よい乗り心地と、エンジンフィーリングに「俺の選択が間違って無かったよ」とT500のタンクを撫ぜた。

北海道から帰ってからは、相模湖〜大月のワイディングがT500のホームコースとなり、ときには週3回はここを走り、そこに来る走り屋とバトルを繰り返し、大月からは、富士五湖・箱根へ抜けてた。

当時箱根ではバトル相手が少なく、大概は一人の全力疾走だった。このコースでのバトルでは負け無しだったが、最大の敵は自分の慢心でこのしっぺ返しはある日突然やって来た。

2月の快晴の日、いつものコースを走り箱根から藤沢バイパスを抜け第三京浜で一気に帰ろうといつもの様にバイパスから第三に入る大きな左カーブを120kmでバンクしてると急にリアのグリップを失いスローモーションの様に転倒した、自分の滑る前をT500がハンドルとセンタースタンドとマフラーから火花を派手に散らしながら滑っていくのが見えていた。

次の瞬間体が止まるとガードレールに逆さに張り付いていた。その騒動に驚いた後続のトラックが止まり「大丈夫か!」と声にスッと立ち20m先のT500のもとへ駆け寄りバイクを起こし、待避車線へ移動した。止まった車も走り去った後、俺の左膝は削れ腫れて膝が曲がらなくなっていた。

T500はハンドルエンドは竹槍、シフトペタルはシフト部が削れ無くなっていた。どうせ左足は使えないんだし、しょうがないから手でチェンジしながらなんとか家まで帰り、それからバイクに乗れるまで一ヶ月掛かった。

この事故を期にT500は益々好みの仕様に仕上げ、コンチハン・バックステップ・単座シート・車体はブラックにイエローと白のシャープなラインを入れ、当時珍しかったカラーツナギも新調し、相模湖ー大月のワイディングでCB750、CB550を蹴散らしながら走ってた全盛期の時、俺が22歳の写真がこれだ・・・・・・。


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大学生の頃のT500と俺・・・このT500は今も快調・・・

posted by WAFT at 07:28| 趣向